シーマンと人工知能 第1回 「3つの逆」

私は『シーマン』という人面魚のゲームソフトを1999年7月に発売しました。

この1999年の7の月というのはノストラダムスの大予言と呼ばれた時期でもありまして、地球が滅亡するというようなことがまことしやかに言われていた時代です。そこに(後述しますが)このちょっと変わったゲームタイトルの発売をあわせたのは、言うまでもなく話題作りを目的としていました。

さてこの『シーマン』というのはセガのドリームキャストという新しいゲーム機のローンチタイトルの第2弾として私たちが開発していたゲームです。

ローンチタイトルというのはハードと同時に出すタイトルで、言わば看板となるタイトルですが、『シーマン』は続編ではなく新作でしたので、しかもまだまだ未知数な要素が多かったので、第2弾ということでセガの方が、ドリームキャスト発売の半年後である7月に発売されたのです。

発売の数カ月前から緻密に計画された様々なプロモーションが実行され、結果的に大ヒットとなりました。

この『シーマン』というのはご存知の方も多いかと思いますが、人面魚がマイクロフォンから入力された人間のセリフに対応してセリフを喋るというものです。そして、またそういう会話を通して育成、飼育し成長していくというわけになるのです。

『シーマン』というのは人工知能の先駆けと思われてるようですけど、一方で人工生命という形で呼ばれていたこともあります。確かに、このゲームは大変変わったゲームですから作る時にいくつか心がけたことがあります、それは後で述べます。

まず、『シーマン』の特徴というのは、今までのゲームのすべて逆をやろうということを思って作られたゲームということです。すべて逆をするということが、どういうことかというと、今までのヒット作もしくは一般的なゲームとは違う、3つの大きな要素があります。

1.キャラが可愛くない
2.架空の話をせず、ユーザーのまわりのリアルな話をする
3.ユーザーはゲームの中のキャラクターに自己投影するのではなく、テレビの中から逆に部屋が覗かれている感覚がする

1番目は誰でもわかる通り、この人間のグロテスクな顔をしたシーマンという生き物ですから、ピカチュウなどの人気ゲームキャラのように可愛くはありません、可愛くないのを狙って作っているわけですから、あたりまえですが、つまり「逆」をやったということになります。
なんで気持ち悪いキャラを意図的に作ったのか? それに関しては後述します。

2番目は、一般的なゲームというのはブラウン管の中にファンタジーな世界などの異空間が広がっていて、そこの中をアドベンチャーしたり、新発見したりすることになります。が、このゲームでは「ユーザーの生活空間を舞台とする」という変わったコンセプトを打ち立てたわけです。
異次元から来た人面魚が交わす会話の中身が実際のユーザーに関することとなると、ファンタジーとリアリティがだんだんと混在しわけが分からなくなる現象が生まれます。言い換えるとユーザーは自分の性格や人間関係をゲームキャラと一緒になって扱うということになるわけです。
これが第2の「逆」です。

3番目の逆は、ユーザーの目線ということになってきます。
通常はゲームキャラクターというのは、ゲームプレイヤーのことを知らない体で物語は進みます、あるいは映画の登場人物はカメラを決して見てはいけないという鉄則があるんですが、それは何故かというと観客の存在があってはならないからなのです。
しかし、このゲームのキャラクターはカメラ目線です。そして、あたかもお茶の間の中が見えているかのように話し、それは水槽というメタファーを使うことで容易に理解を得ることが出来たんですけども、いかにしてユーザーとシーマンを繋げて一体感を得られるようになるかを心がけて作りました。
これも後述しますが、それらはインターフェースのデザイン、ボタンの配置とか、ひとつひとつのところに細かく細かく、反映されていったことになります。

なぜこんな変なコンセプトをゲーム進行の軸に据えたのか?

そもそもとして、「今まで存在したことがないようなゲームを作りたい」というモチベーションがあったからです。しかし過去に存在しないというだけでは人々が面白いと思ってくれるとは限りません。そのためにはどんなユーザーも決して無関心ではないものをテーマにしようと思った経緯があります。絶対に誰でも無関心ではいられないもの、それは、その人自身です。

ファンタジーの世界に興味を持たない人はいると思いますが、自分自身に興味を持たない人はいないだろう、だったらそれを徹底的にやってやれ、ということで、「音声認識という技術を使って、あるいは擬似的な人工知能という類の手法を使って、ユーザーが人面魚と自分のプライバシーを暴露しながら、育成をしていくゲーム」がこのゲームの会話展開のコンセプトとなったのです。
「ペットと会話」と言ってもテーマ性がなく、ただ偶発的にあちこちテーマが飛んでいたのでは人は時間という貴重な資源を絶対に割いてくれません。「何かに向かって」という合意形成ができていないと人はゲームの操縦席に座ってくれない。

この「合意形成」こそが、ネタをばらすことが許されないエンターテイメントの最も難しいところです。このあたりについては「いかに合意形成するか」の章で詳しく述べます。結論的にこのゲームでは「ペットの育成をしながら、自分は魚に育成される側だったんだ事実を発見する」というオチに向かって会話構成を作りました。
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