シーマンと人工知能 第2回|そもそも、シーマンのアイデアはどこから?

シーマン Column

さて、そもそも何でこんな『シーマン』という変なゲームを思いついたのかと言えば、これはランチタイムのジョークからはじまりました。
僕が当時やっていた会社の社員とランチを食べている時に、私が冗談交じりで、今から申し上げるような話をしたら、周囲の評判が良くてそのまま実現したというだけの話です。

当時、その会社では私の担当しているゲームと、別のチームが担当している熱帯魚ソフトを発売していました、 そのソフトは、Macの画面を水槽に見立てて、毎日ピクセル単位で成長する熱帯魚の世話をして飼育するものです。
温度、酸素、そのほかの環境が整った場合にのみ産卵する、ストイックでリアルに育つ、まさに“アクアリウムをシミュレーションするソフトでした。

日々進む成長過程は、スタッフが実際に生き物をしっかりと観察してデータとして残す必要があったので、オフィスには、ホンモノの魚類や鳥、イグアナまでが飼育されていました。
言ってみれば、どこかの動物園の研究室のようなことを六本木のど真ん中にあるオフィスでやっていたのです。
そしてある普通の日、ランチの場にて、そのソフトの話題になった時のことでした。

「僕は飽き性だから、あんなに手間暇のかかる仕事はできないな。もっと大胆な変化、例えば、足が生えてきたり手が生えてきたり、陸地に上がったり、そういうのを時間を短縮して見せるならできると思うけど」と言うと、社員たちはゲラゲラ笑いながら、僕にいろいろな質問をしてくるので、調子に乗って思いつきでいろいろなことを言い、場を沸かせようとしました。
「水槽の中から人間にジロジロ見られてる魚たちはきっと嫌だろうな」。「だったら音声認識でいろいろ喋りかけたら、何見てんだ、馬鹿野郎って言わせたいよね」とか。

盛り上げたい一心で、あることないこと、あれこれ思いつきでネタを言う場とは、ある意味で最高のアイデア会議になります。
このときも勢いだけで話しながら、ドリフターズのコントの最後で荒井注さんがカメラ目線で「何見てんだ、馬鹿野郎」と言い放つ鉄板ネタを言うオヤジっぽいキャラが浮かんでました。
調子に乗っているうちに、「話をさせるなら、やはり顔は人間だよなぁ」となるのも、ゲームクリエイターの発想だと、いま振り返ると思います。
そして「さしずめ名前を付けるならシーマンだな」と言ったのでした。

シーモンキー

Image: Amazon.co.jp

その昔、アメリカから輸入された微生物で、「シーモンキー」と言うのがありました。
卵を買ってきて水の中に入れると孵化していっぱい泳ぎはじめるんです。
このシーモンキーというネーミングとパッケージに描いてあったアメコミ風の猿もどきが、子ども心に気持ち悪くて脳裏に焼き付いちゃってました。
でも、こっちのは顔が人間だから『シーマン』と言うわけです。

この日のランチはその程度の話で終わりましたが、この企画への興味が頭の中をグルグルと途絶えることなくまわっていたので、スケッチを残しました。
そして妻に「今日こんな新しいゲームの話をしたんだけど、面白くない?」と話すと、さんざん気持ち悪がられてしまいました。
しかしそれから数週間後、妻が突然、「あの企画はどうなったの、やらないの?」と聞いてくるのです。
「え? どうして?」と聞き返すと、「あの気持ち悪い企画はやった方が良いよ、ゾクゾクするようなエグさがいいから絶対にやるべき」だと言われたのです。
「でも、この前はぜんぜん褒めてくれなかったじゃないか」と言い返すと、妻は意外なことを言ってきたのです。

気持ち悪いとは言った。けど、嫌いとは一言も言ってない」と。 この言葉は相当なインパクトでした。
でも、その意味を話す前に、ちょうどこの時期と前後してとある事件があったのですがその話をします。
昔の同僚同士が結婚したいうニュースをNさんから聞いたのです。
その2人は年がら年中ケンカをしていた仲でした。周囲の者はいつもヒヤヒヤしていたものです。 だからなおさら、この2人が結婚するときいてビックリしたわけです。
すると、その2人の上司をしていたNさんがニンマリしながら独特の関西弁でこう言ったのです。

「おい斎藤、好きの反対は嫌いとちゃうで 好きの反対は無関心や。あの2人はずっとケンカしとったけど、お互いに無関心だったことあるか?ケンカが絶えなかったのは、気があるっちゅうことや。」と。

そして、そのあとに妻の言葉を耳にするわけです。
これは僕のクリエイター人生を変えるほどのある大きな発見でした。

好きの反対は嫌いではない。好きの反対は無関心である」。

“嫌い”がある瞬間たった1つのスイッチで“好き”に変わることがある、と言うことです。
いや、嫌えば嫌うほど、気になって気になって仕方がないだから、可愛く作る必要なんてないかもしれない。 そうすれば、人々の関心を集められるんじゃないか。
だったら、それを徹底的にやってやろうと。 物事というのは見方でガラリと価値が変わってしまうものです。
そして、そのスイッチを入れるものは、たった一葉の言葉だったりします。

僕はこの1つのコンセプトを手に入れたことによって、『シーマン』という謎めいた宮殿の入り口を潜ることになったのです。
本コラム【シーマンと人工知能 第1回|3つの逆】で、「人が無関心ではいられないテーマ、それは自分自身に関する話題である」などと偉そうに言いましたが、視覚的にも同じことが言えると思います。
「顔」を持っている対象物に人は極端に反応します。それは子どもや動物も共通のようです。
もしかしたらそれは、生物種共通の生体反応なのかもしれません。
いまこうして後追いで語れば、あたかも理路整然としたことが言えるのですが、前述のランチをしているときにはそこまでのことを考えていたわけではないと思います。

それでも『シーマン』の原型の戦略的要素が、ランチでの「思いつきのバカ会話」でほぼ出揃っていたのは、でまかせの直感力がなせる技と思います。

image: Amazon.co.jp